♪--------------------♪--------------------♪--------------------
こんにちは、MUCHOJIです。
初めて当ブログをご訪問の方は、「はじめに」をお読みください。
-----------♪------------------♪--------------------♪-----------
こんにちは、MUCHOJIです。
初めて当ブログをご訪問の方は、「はじめに」をお読みください。
-----------♪------------------♪--------------------♪-----------
SOHOにあるニューミュージアムで開催されているアンリ・サラAnri Salaの企画展
“アンサー・ミー Answer me”。
1974年、旧共産圏のアルバニアに生まれたアンリ・サラ。
光や音、音楽を言語として物語を表現するというインスタレーションで
世界的に注目を集めています。
彼の作品は、言語、構文、構造、音楽と戯れることによって作られているので、
美術に興味のある人にはもちろん、私のように音楽に関心を持つ人も楽しめます。
パリでビデオ制作を学び、現在はベルリンを拠点に活躍しています。
デビュー作の“インタビューInterview”(1998)は、自分の母親の過去や記憶にまつわる
ドキュメンタリー作品。
制作のきっかけは、70年代に共産主義青年同盟の闘志だった母親が残した
TVインタビューの映像。
ところが、映像のみで録音が見つからなかったので、何を話しているのかがわからず、
母親本人も何を話しているのかまったく記憶がなかったそう。
この「言葉探し」のために、サラは聾学校を訪ね、
見事、口唇術で母親の言葉を復元することに成功したのです。
しかし、そこで自分が話している内容が、
マルクス・レーニン主義の理想の鸚鵡返しにすぎなかったことを知った母親は、
それは自分の発言ではない、と否定。
“インタビューInterview”は、そうした抹殺された記憶や、
歴史を浮かび上がらせてしまったのです。
こうした初期の作品で、政治的、自伝的要素を含む映像を発表する一方、
サラは常に音と空間の関係性を再構築することに強い興味を持っていました。
そして最近ではイメージと音への関心に基づいた作品を、
建築を取り巻く音やありふれた光景に注目するといった方法で作っています。
そこでは音だけでなく、その音が発せられる場所、建物といった他の要素にも
すべて意味があって、観るものは謎解きのように
それを読み解かなければならないのです。
今回の注目作品の一つ “ラヴェル・ラヴェル・アンラヴェルRavel Ravel Unravel”(2013)は、
モーリス・ラヴェルの「左手のための協奏曲」を演奏する2人のピアニストの手元を
映した映像を編集・再構築して、同時に投影するビデオインスタレーション。
正確には“Ravel Ravel”(2013)という作品と、“Unravel”(2013)という作品の2つに
分かれています。
“Ravel Ravel”は、映像が投影される部屋に吸音材がびっしり敷き詰められていて
現実にはエコーが起き得ない環境で、2つの演奏がシンクロナイズしたり
少しズレたりするのが、音楽的なエコーの効果を生み出すという逆説的な作品。
ラヴェルの「左手のための協奏曲」といえば、
あの有名な哲学者ルードヴィヒ・ウィトゲンシュタインの兄で、
第一次世界大戦で右手を失ったパウル・ウィトゲンシュタインのために
ラヴェルが最初に書いたピアノ協奏曲。
考えてみたら普通コンサートで同じ曲を同じピアニストが同時に弾くところを
見ることはないので、こうしたビデオで演奏家を観察すると、
いろんなことがわかります。
オーケストラが加わる部分は(編集・再構築されたことによってですが)
わりとシンクロナイズしているけど、カデンツァのようにソリストの自由度の高い部分は
2人のピアニストの間でかなりズレが生じます。
そしてもっと注意深く聴いてみると楽譜のオリジナルのテンポとは
ちょっと違うことに気づきます。
演奏には使わない右手はどうしてるのかな、と眺めていると、
右手は脱力していたり、ピアノのフレームを握って支えていたり、
リズムを取っていたり… で、音では何も語らない右手は、
映像では雄弁に音楽を語っているのです。
そして2人の演奏家の個性がそれぞれの映像に表れています。
画面には右手の影がぼやーっと映りこんでいたり、
最後に脱力した右手を映し続けて(この曲では右手は使わない)
右手に注目させているところが、なんだか皮肉っぽい。
“ラヴェル・ラヴェル・アンラヴェルRavel Ravel Unravel”は
タイトルのつけ方が秀逸だと思うのです。
“Ravel Ravel”はラヴェルの名前を二重にして、
2人のピアニストによる演奏が重ねられていることを意味しているのだと
解釈できますが、一方で英語で“ravel”(動詞)は“to disentangle”という意味で、
2つの演奏のテンポが同期化されていないことを示唆しています。
そして隣り合う次の部屋にある作品“Unravel”ではDJの女性が、
ラヴェルの左手のための協奏曲を演奏した2つのコンサートを収録したレコードを、
ターンテーブル上で物理的に操作して(手動で演奏を速めたり遅めたりして)
2つの録音を調和させようとしています。
2つの作品の原理は異なっているけれど、お互いに補完しあっているというわけ。
もうひとつ興味深かった作品は、
“ザ・プレゼント・モメントThe Present Moment (in B-flat)”(2014)と
“The Present Moment (in D)”(2014) です。
これも同時に投影されるビデオインスタレーション。
シェーンベルクの「浄められた夜」(1899)に基づいた作品。
シェーンベルクの「浄められた夜」といえば、D(レ)の音とB-flat(シ♭)が
とても印象的に何度も繰り返し現れる作品ですが、
そこからDとB−flatを取り出して、2つの室内楽グループがひとつはDに焦点をあてて、
もうひとつはB-flatに焦点をあてながら、
袋小路に囚われたみたいにひたすら演奏している映像が2箇所で同時に流れています。
この曲を知っていれば今どこを演奏しているのかだいたいわかるのですが、
断片的で盛り上がりとかが全部削除されていて、
あの恍惚的なクライマックスを迎えることなく最初のテーマに戻ってしまうので、
とても奇妙な感じ。
しかも天井を見上げると、パーカッションが天井から吊るされていて、
無人でドラムを叩いているという… その不気味さは死の宣告を連想させます。
ユダヤ人のシェーンベルクはナチス・ドイツの迫害を逃れてアメリカに移住。
ラヴェルが「左手のための協奏曲」を贈ったパウル・ウィトゲンシュタインも
キリスト教に改宗した家系のユダヤ人で1938年にアメリカに出国。
どちらにも「戦争」「ユダヤ人」というキーワード。
サラの作品は、言語、構文、構造、音楽と戯れながら、歴史との対話をしているので、
作品の中に隠された文脈がわかればわかるほど楽しめるのでしょう。
部屋全体に満ちる音楽や映像にどっぷり浸かりながら謎解きをしているようで
観終わった後は心地よい消耗感。
ちなみにニューミュージアムに行くなら木曜の夜7:00からはPay what you wishなので、
ほぼ無料で展示を見ることができます。
“アンサー・ミー Answer me”。
1974年、旧共産圏のアルバニアに生まれたアンリ・サラ。
光や音、音楽を言語として物語を表現するというインスタレーションで
世界的に注目を集めています。
彼の作品は、言語、構文、構造、音楽と戯れることによって作られているので、
美術に興味のある人にはもちろん、私のように音楽に関心を持つ人も楽しめます。
パリでビデオ制作を学び、現在はベルリンを拠点に活躍しています。
デビュー作の“インタビューInterview”(1998)は、自分の母親の過去や記憶にまつわる
ドキュメンタリー作品。
制作のきっかけは、70年代に共産主義青年同盟の闘志だった母親が残した
TVインタビューの映像。
ところが、映像のみで録音が見つからなかったので、何を話しているのかがわからず、
母親本人も何を話しているのかまったく記憶がなかったそう。
この「言葉探し」のために、サラは聾学校を訪ね、
見事、口唇術で母親の言葉を復元することに成功したのです。
しかし、そこで自分が話している内容が、
マルクス・レーニン主義の理想の鸚鵡返しにすぎなかったことを知った母親は、
それは自分の発言ではない、と否定。
“インタビューInterview”は、そうした抹殺された記憶や、
歴史を浮かび上がらせてしまったのです。
こうした初期の作品で、政治的、自伝的要素を含む映像を発表する一方、
サラは常に音と空間の関係性を再構築することに強い興味を持っていました。
そして最近ではイメージと音への関心に基づいた作品を、
建築を取り巻く音やありふれた光景に注目するといった方法で作っています。
そこでは音だけでなく、その音が発せられる場所、建物といった他の要素にも
すべて意味があって、観るものは謎解きのように
それを読み解かなければならないのです。
今回の注目作品の一つ “ラヴェル・ラヴェル・アンラヴェルRavel Ravel Unravel”(2013)は、
モーリス・ラヴェルの「左手のための協奏曲」を演奏する2人のピアニストの手元を
映した映像を編集・再構築して、同時に投影するビデオインスタレーション。
正確には“Ravel Ravel”(2013)という作品と、“Unravel”(2013)という作品の2つに
分かれています。
“Ravel Ravel”は、映像が投影される部屋に吸音材がびっしり敷き詰められていて
現実にはエコーが起き得ない環境で、2つの演奏がシンクロナイズしたり
少しズレたりするのが、音楽的なエコーの効果を生み出すという逆説的な作品。
ラヴェルの「左手のための協奏曲」といえば、
あの有名な哲学者ルードヴィヒ・ウィトゲンシュタインの兄で、
第一次世界大戦で右手を失ったパウル・ウィトゲンシュタインのために
ラヴェルが最初に書いたピアノ協奏曲。
考えてみたら普通コンサートで同じ曲を同じピアニストが同時に弾くところを
見ることはないので、こうしたビデオで演奏家を観察すると、
いろんなことがわかります。
オーケストラが加わる部分は(編集・再構築されたことによってですが)
わりとシンクロナイズしているけど、カデンツァのようにソリストの自由度の高い部分は
2人のピアニストの間でかなりズレが生じます。
そしてもっと注意深く聴いてみると楽譜のオリジナルのテンポとは
ちょっと違うことに気づきます。
演奏には使わない右手はどうしてるのかな、と眺めていると、
右手は脱力していたり、ピアノのフレームを握って支えていたり、
リズムを取っていたり… で、音では何も語らない右手は、
映像では雄弁に音楽を語っているのです。
そして2人の演奏家の個性がそれぞれの映像に表れています。
画面には右手の影がぼやーっと映りこんでいたり、
最後に脱力した右手を映し続けて(この曲では右手は使わない)
右手に注目させているところが、なんだか皮肉っぽい。
影の映り込み |
“ラヴェル・ラヴェル・アンラヴェルRavel Ravel Unravel”は
タイトルのつけ方が秀逸だと思うのです。
“Ravel Ravel”はラヴェルの名前を二重にして、
2人のピアニストによる演奏が重ねられていることを意味しているのだと
解釈できますが、一方で英語で“ravel”(動詞)は“to disentangle”という意味で、
2つの演奏のテンポが同期化されていないことを示唆しています。
そして隣り合う次の部屋にある作品“Unravel”ではDJの女性が、
ラヴェルの左手のための協奏曲を演奏した2つのコンサートを収録したレコードを、
ターンテーブル上で物理的に操作して(手動で演奏を速めたり遅めたりして)
2つの録音を調和させようとしています。
2つの作品の原理は異なっているけれど、お互いに補完しあっているというわけ。
もうひとつ興味深かった作品は、
“ザ・プレゼント・モメントThe Present Moment (in B-flat)”(2014)と
“The Present Moment (in D)”(2014) です。
これも同時に投影されるビデオインスタレーション。
シェーンベルクの「浄められた夜」(1899)に基づいた作品。
シェーンベルクの「浄められた夜」といえば、D(レ)の音とB-flat(シ♭)が
とても印象的に何度も繰り返し現れる作品ですが、
そこからDとB−flatを取り出して、2つの室内楽グループがひとつはDに焦点をあてて、
もうひとつはB-flatに焦点をあてながら、
袋小路に囚われたみたいにひたすら演奏している映像が2箇所で同時に流れています。
この曲を知っていれば今どこを演奏しているのかだいたいわかるのですが、
断片的で盛り上がりとかが全部削除されていて、
あの恍惚的なクライマックスを迎えることなく最初のテーマに戻ってしまうので、
とても奇妙な感じ。
しかも天井を見上げると、パーカッションが天井から吊るされていて、
無人でドラムを叩いているという… その不気味さは死の宣告を連想させます。
ユダヤ人のシェーンベルクはナチス・ドイツの迫害を逃れてアメリカに移住。
ラヴェルが「左手のための協奏曲」を贈ったパウル・ウィトゲンシュタインも
キリスト教に改宗した家系のユダヤ人で1938年にアメリカに出国。
どちらにも「戦争」「ユダヤ人」というキーワード。
サラの作品は、言語、構文、構造、音楽と戯れながら、歴史との対話をしているので、
作品の中に隠された文脈がわかればわかるほど楽しめるのでしょう。
部屋全体に満ちる音楽や映像にどっぷり浸かりながら謎解きをしているようで
観終わった後は心地よい消耗感。
ちなみにニューミュージアムに行くなら木曜の夜7:00からはPay what you wishなので、
ほぼ無料で展示を見ることができます。
● Link
0 件のコメント:
コメントを投稿